5.報復


 彼女の好きな食べ物もまたクレープだった。



「アンテナ対策課って人員少なすぎるよねえ。特に実動班」
 班の定例報告会に参加するために、某区役所の小会議室の一つにリルカリルカと躁鬱さんはいた。こじんまりとした会議室が広く見えてしまうほどに、この部屋の人口密度は薄い。
「案ずるな。これで全員じゃない」
 こっちのほうが対策されそうな見た目である仮面の怪人は言い放った。
「あと三人来る」
「へー。携帯の充電器持ってる? バッテリーが切れちゃったよ」
 断末魔の電子音を鳴らす携帯電話を振り回しながら、躁鬱さんは何の感慨もなく返した。
「……アンテナを異常と認識できる人間は希少だからな。充電器はない」
「確か新入りが一人来るんだっけ?」
 しばらく経つと、会議室の扉が開かれ、二人の人間が入ってきた。
「来たか」
 入ってきたのは一九〇センチほどの大柄な男子学生と、中肉中背のスーツの中年男性だった。
「遅いよ、二人とも」
「こっちはお前ほど暇じゃないんだよ、内海」
 不機嫌そうに大柄な男子学生――闇内は答えた。
「まあね」
 陰気な視線を躁鬱さんは軽く受け流す。闇内は彼女と顔を合わせるときはその悪意を隠そうとしない。
「ノロイは私に剣道の試合で何も出来ずに二本取られたのがいまだに悔しいのかな」
「何か言ったか?」
「言ったけど」
「……」
 躁鬱さんが平然と闇内の悪意を加熱しているのを見て、大人二名は「またか」とため息をついた。
「駆除班のメンバーはずいぶんと仲がよろしいようですな、リルカリルカ班長」
「……そうですなクロイツ技術主任。ところで、アンテナの解析は進んでますかな」
 リルカリルカとクロイツと呼ばれたスーツの男性は口元だけで笑いあった(もっとも、リルカリルカの口元は見えないが)。大人二名もなかなか仲がよさそうだった。
「……ところで、もう一人来るはずではありませんでしたかな?」
「そのうち来るはずなのですがね。会議室がどこにあるのかわからなくなってるのかもしれん」
 何かを誤魔化すようなクロイツの問いかけにリルカリルカが答えたとき、とてもいいタイミングで扉がキィーと卑屈な音を立てて開いた。
「お、遅れましたすいません」
 入ってきたのは緊張した顔つきの男子学生だった。小柄な躁鬱さんよりは大きいが、大柄な闇内ほどは大きくない、要するに平均的な体格の持ち主だった。彼は奇妙な組み合わせの実動班のメンツを見渡し、自己紹介を始めた。
「こ、これから金属とっきゅふぇん(噛んだ)対策課に入れさせていただきます華岡です、よろしくおねがいしますっ」
「ああ、あんたか」
 珍しい新入りを興味深げに眺める視線たちの中、一人躁鬱さんだけは納得げに頷いた。彼女は彼の顔を見たことがあった。彼女はホテル『楽園の抱擁』でアンテナ少女を退治したことがあった。そのアンテナ少女に虜にされる寸前だったのが彼、華岡だったのだ。
「あ……」
 と、華岡は思わず人生の恩人に指を指してしまった。彼は単純な感謝の情をポニーテールの少女には抱いていなかった。状況が理解できていないからではない。アンテナ付きに関してはリルカリルカからすでに講釈を受けていた。
 正義の人らしいとリルカリルカは躁鬱さんに解説した。世界を裏から支配しようと目論む悪しきアンテナ人間を自分の手で退治したいらしい。多分やっかいな誤解をしている。
「金属突起変異対策課実動班、通称アンテナ駆除班へようこそ。華岡正志、我々は君を歓迎しよう。私は班長のリルカリルカだ」
 仮面の班長は芝居がかった口調でそう言った。
「私は駆除班副班長の内海そう子。躁鬱さんって言う変な名で呼ぶ人もいるね。まあ、ほどほどによろしく」
 見えない煙草をくゆらせる仕草とともに躁鬱さんも自己紹介を終えた。
「あなたが……」
「そう。私が」
「……駆除班って、人員いないんですね」
 この部屋でもっとも背の低い人間は笑った。
 人類の運命は、あまりに若い彼女たちに託されていた。

 その後、各所での被害報告、注意するべきマスター級のアンテナ付きについて、今後の具体的な対策などが話し合わされたりしたが、時間だけ食って中身は薄っぺらいという大変日本的なものだったのでそれについては割愛する。役所に限らずこういうことはある種の必要な儀式のようなものである。朝に始まった定例会が終わる頃には時計の短針は十二に達しようとしていた。
「……武器とかは支給してくれないんですか」
「まだ研修中みたいなものだからな。個人で法律に触れない程度のものを持つのは問題ないらしいが」
 華岡の不満そうな問いには、左横を歩く闇内が答えた。『研修期間』が終わった後なら、リルカリルカに言えば警棒やスタンガンやペンチ(アンテナを切断するのに利用する)程度なら出してくれるらしい。
「も、もしアンテナ人間と出くわしたらどうするんですか?」
「知らないフリをすればいいんだよ」
 ヘラヘラ笑いながら適当な口調で回答したのは右横を歩く躁鬱さんだった。
「そんな適当な」
「武器を持ってようがキミじゃ返り討ちにされてあいつらの仲間入りするのがオチだよ。あと行動であんまりアンテナアンテナって大声で言わないでね」
 駆除班副班長以下三名は区役所を後にし、副班長の指示に従いある場所を目指していた。
「……はい。それで、おれたちはどこに向かってるんですか?」
「クレープ屋」
「えっ?」
「この間クラシックに美味しいクレープ屋さんを教えてもらったんだよね。あっ見えてきた」
 華岡は助けを求めるように闇内(初対面の人間に三割程度の確率で「お仕事は何を?」と質問される男子学生)に視線を向けたが、向け返された視線は『慣れろ』とだけ言っていた。

 休日のクレープ屋はそこそこの賑わいを見せていた。淡い桃色の壁紙が彩る店内では所狭しとトレーが行ったり来たりしている。
「食べないの、華岡?」
 躁鬱さんに左手でカスタードクレープを差し出されても、華岡の憮然とした表情は晴れることはない。むしろ店に入る前より苛立ちが増しているように見えた。
「……仕事は?」
「ずいぶんと殺したがってるみたいだけど、糖分を取って気持ちを落ち着かせることも大切だよ」
 駆除班のテーブルの微妙な空気にかまわず躁鬱さんは右手でバナナクレープを頬張っていた。華岡は思わずテーブルに手をついて立ち上がり、言った。
「おかしいですよ。リルカリルカって言う人から『人類にあだなす悪鬼羅刹のアンテナ付きどもを撲滅するのだ!』っていう説明を受けていたのに。詐欺だ」
 二人の横でチョコレートクレープを咀嚼しつつ闇内は(班長は大げさな物言いが好きだからな)と心中つぶやいていた。彼は駆除班に入ってからと言うもの『見回り』という名目で、主に飲食店で駆除班の経費を使いこむのを手伝わされていたので躁鬱さんの言動に今更苛立ちはしなかった。
 暗示能力を持つ上に、それほど数が多いわけでもないアンテナ人間が一度人の間に紛れ込んでしまうと非常に見つけづらい。基本的には何かコトを起こしたところを取り押さえるという事後対処の形になるため、平常、駆除班の仕事はないのだ。
 ということをリルカリルカが説明しなかったはずはないのだが、華岡少年はどうも都合よく聞き逃してしまったらしい。このまま放置して大声で騒がれてもそれはそれでより面倒な事態になることに気づいた闇内は、『座れ』と視線で合図を送った。
「肩肘張るな。そのうちあいつらとボコスカやらなきゃいけない日は嫌でも来る。今はせいぜい副班長さまのご意向に従っておけ」
「……」
 闇内に投げやりな、それでいて重い口調で諭されて、華岡はやや納得の行かないままに椅子に尻を着地させた。
 躁鬱さんが「闇内の言う事は聞くのに副班長の言う事は聞いてくれないんだ……」と苦笑いしつつ差し出してきたカスタードクレープを受け取り、口に運ぼうとした。運ぼうとしてクレープは手から零れ落ち、床にベシャリと墜落してしまった。
 華岡の目がたまたまとんでもないものを捉えてしまったからだ。先ほどまでクレープを持っていたほうとは反対の手で視線上のものを指差し、彼は小さく叫んだ。
「――あ、アンテナ人間!」



 同じ頃、クラシックも一人でマロンクレープの甘さを堪能していた。
(このクレープ生地と生クリームの組み合わせを考えた人は天才だなあ。ノーベル賞ものだよ)
 こうして休日にクレープ屋に足を運ぶのは彼女のひそかな毎週の楽しみとなっていた。
 今日は躁鬱さんも誘おうとはしたのだが、どうも携帯電話につながらなかったので断念した。
(躁鬱さん、気にいってたからまた連れてきたかったな)
 躁鬱さんが何も言わずに物を食べている時は、それを気に入っている証拠だと言うのを彼女は知っていた。
「――アンテナ人間!」
 ふと、そんな声が聞こえてきた。声がしたほうを見ていると、なんと躁鬱さん、と知らない男の子がいた。言ったのは男の子のほうのようだ。どうやら、躁鬱さんと彼はなにやら言い争っているらしい。
 ひょっとして自分のことなのだろうかと思いつつ、どうすればいいのかわからずそのまま固まっていたらさらにもう一人の男性(なんとこっちは闇内である)と共にクレープ屋の外に出て行ってしまった。詳しい様子がどうなっていたかは、距離がややあったのと満席の客の陰に隠れたのとで確認する事は出来なかった。



 闇内は華岡の指の先に示す人物を目にして、そいつは内海のお気に入りだから触らないほうがいいよと思い、口にしようと思ったのだがすでに遅かった。
「ほら! アンテナ人間いるじゃないですか、仕事ですよ仕事。ねえ!」
「やかましいよ」
 ふたたび椅子を蹴った華岡だが、躁鬱さんはへらへら笑いを崩さなかった。ちなみに彼女は初対面の人間(厳密には違うが)には愛想を良くしろというビジネス書の教えに従っているだけなのでもちろん本心から笑っているわけではないということを補足しておく。
 話にならないと判断した華岡が徒手空拳でクラシックの方角に突進しようとしたとき、不意にすさまじい力で左手を引っ張られた。引っ張ったのはポニーテールの副班長の手だった。
 彼女は笑みのまま哀れな華岡の左手親指をつかみ、一瞬だけ表情を消し、無造作にへし折った。彼は電撃的な痛みに耐え切れず小さくうめき声をもらして膝を折った(この件について、躁鬱さんは「マンガでよくあるみたいに親指をつかんでひねり倒そうとしたら力加減を間違えた」と供述している)。ただごとではない様子に衆目が集まる。
「内海、出るぞ。はしゃぎすぎた」
 かわいそうな無知(罪ではない)な少年を見下ろして、努めて平静さを保っていた闇内がそう言った。
 


 躁鬱さんたちが騒ぎを起こして店を去ったしばらくクラシックは呆けていたが、消費するものがなくなったまま一人店に滞在していても仕方がなかったので、自分も店を出ることにした。
 仲が悪いはずだった闇内と躁鬱さんが一緒にクレープを食べていたのもかなり謎だったが、知らない(恐らく別の学校の)知り合いを作っていたのも驚きだった。あの友人は社交性が限りなくゼロに近いと勝手に思い込んでいたのだが、案外こっちのほうが低いのかもしれない。
 躁鬱さんの秘められた交友関係を知って、なぜかクラシックの小さな胸の中でささやかな嫉妬がうずいた。
(――私、躁鬱さんのこと全然知らないのかもしれない)



 華岡はずるずると冷たいアスファルトの地面を引きずられながら呪いの言葉を呟いていた。それに躁鬱さんは、
「汚してはいけないものがある。例えば私がホテルで脳味噌をぐちゃぐちゃにした、哀れな君の幼馴染のように」
 とだけ無表情に答え、それ以上を語ることはしなかった。

(了)
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