1.迷彩




 窓の外から、締め切りの警報音が鳴っているのが聞こえる。
 それに少し遅れて電車が線路を静かに踏み鳴らす音が続き、ホテルの床をかすかに振動させるのを内海そう子は尻と脚で感じていた。
 乱れたシーツを指先でもてあそぶ彼女の着衣もまた、体裁は整えられているものの若干の乱れと汚れが見て取れる。内海の傍らには彼女と同じ年頃の少女が全裸で横たわっていた。
 ピクリとも動かない少女には二つの異常があった。一つは頭から『アンテナ』が生えている事、二つはその頭が胴体からお別れしているところだった。



「躁鬱さん、学校来てたの」
「たまにはね」
 授業が終了し、教室を一歩外に出てクラシックはすぐさま意味もなくニヤニヤと笑う躁鬱さん――内海そう子を見つけた。今日は機嫌がいいらしい。富士河に見つかってないからだろう。クラスとクラスの人間が交ざる帰宅ラッシュの流れに二人も合流する。
「なんで来たの?」
 頭の上で線状アンテナが回転を始めたのを自覚しつつも、せめて彼女の担当教諭のようにクラシックは訊いた。
「んー、様子見」
 対する躁鬱さんの答えはいつもどおりだった。
 (何の、誰の様子を見に来たんだろう)(進学とかどうするのかなあ)さまざまな疑問があったが、無駄だと学んでいたので口に出すことはしなかった。クラス教諭とすれ違った時、彼は出席日数ブービーの女子生徒を『見なかったフリ』をした。なんのことはない。諦められていた。
「そろそろ学校に来ない、躁鬱さん」
「え、なんで」
 なんでも何もないよ、という言葉をとりあえずクラシックは飲み込んだ。ごまかすようにクラシックは眼鏡のズレを直してみた。
「だって、私の隣の席にいないと寂しいし……」
 飲み込んでおいてセリフがこれというのも恥ずかしく、彼女の頭上では線状アンテナがゆらゆらと愛らしくゆれていた。
「じゃあ来るよ」
「そりゃ、どうもありがとう」
 優等生でも劣等性でもないクラシックは言葉だけの礼を返した。躁鬱さんのような歪曲した人間と長い間付き合ってくると、応対も屈折したものになりがちである。
 


 躁鬱さんが彼の携帯に連絡を入れてから十五分後、さび付いた空気の部屋にリルカリルカは現れた。いつものようにハットと格子柄の背広、そしてペストドクターのマスクを着けている。アンテナ人間駆除班長は常に同じような衣装で現れる。それが自分のアイデンティティであるかとでも言うように。
「遅いよ、リルカリルカ。あまり女を待たせるものじゃない。待たせていいのは質屋と印刷屋だけさ」
「それはどこの漫画のセリフだね?」
「『悪党が戦車でやってきた』」
「なるほど。そのタイトルは前から興味があったんだ。貸してくれないかね?」
「三日遅かったね。もう処分しちゃったよ」
「そうかい」
 仮面の奥からくぐもった笑い声を立てつつ、リルカリルカは躁鬱さんのそばに転がっていた首を拾い上げ、懐からニッパーを取り出し、生えていたアンテナ――鉄線がいくつもの輪を形成している――を根元から切断した。
「双ループタイプか」
「たまたまノコギリしか持ってなくてね。アンテナを切断するより首を取り外したほうが楽だったよ」
 何かを言い訳するように殺人女子校生は言葉を発した。
「これは怖いお方だ」
「いつもあんたが言ってる事だろうリルカリルカ、アンテナ付きは人間じゃないって。電化製品だって。それよりアレをちょうだいよ」
「そうだ。君は不良品の分解の手際がいいからいつもこちらとしても助かっているよ」
 リルカリルカはひょいと無造作に札巻きを投げ、躁鬱さんはそれをキャッチした。
「ねぇ、アンテナ付きは人間じゃないんだよね。もし私にアンテナがついていたとしたらどうする?」
「ありえない話を持ち出すな。君には何も付いてない」
「わかってないね」
 いつものようにわざとらしい笑みを浮かべて、ノコギリに付いた血のりをふき取る。内海そう子によく似た誰かの顔が刃面に映った。これは誰の顔だろうか。
「アンテナがついてようがなかろうが、私たちは誰かに操られてるってことには変わりないというのに」



「なんでついてくるのー」
「だからちゃんと生活できてるかどうか不安になるんだってばあ。躁鬱さん一人暮らしだし」
「まるで私のお母さんだねえ、クラシックは」
 さび付いた階段を騒々しく音を立てて二人は登っていく。さびれたアパート街の一角にある躁鬱さんの住まいに方向音痴のクラシックは一人でたどり着くことができなかった。地図を見ても自分がどこにいるかどこを向いているのかわからない彼女が似たような建物ばかり並ぶ場所へ行くことは何の装備を持たずに樹海へと侵入することに似ていた。
 半年不登校児の部屋はクラシックのそれとは大分かけ離れている。学校にあった宿直室というのに似ているような気がする。冷蔵庫に衣装かけ、やかんにこたつ、最低限のものだけがそろっていた。あとは怪しげな工具箱やダンボールが目を引く(ちなみに、夏なのにこたつの上にはちゃんとみかんがあった。躁鬱さんは形にこだわるらしい)。
「このさぁ……」指差した先には衣装かけがあった。「もっと他の服を買おうとは思わないの?」
 セーラー服と赤いブレザー、そして灰色のジャージが何着かかかっているが、それ以外に衣服は見当たらない。今の制服は赤ブレザーなので、セーラーのほうは前の学校で着ていたものだ。
「背広と制服は」
 コンロの火がなかなかつかなくて苦戦している躁鬱さんは彼女のほうを向かずに口を開いた。
「――現代の迷彩服」
 クラシックも符丁にすらなっている定型句を口にする。何故か、躁鬱さんは得意げである。
「……だから?」
「わかってないなあ」
 やっと火が付いたらしく躁鬱さんは振りかえり、わざとらしく声を張り上げる。
「クラシックはどこかに忍び込んだりはしないの?」
「しないよ!」
 セーラー服はともかく、派手に赤いブレザーではどこにも忍び込めないと思った。それに、彼女はどこにも忍び込めないんじゃないだろうか。なんというか、人間として異質すぎる。クラシックは直感のレベルでそう悟っていた。葉は森に隠せというが、紅葉は新緑の中には隠せない。
 途方にくれて平凡な新緑(と彼女自身は思っている)は『資料』と油性マジックで書かれたダンボールの一つを開いた。そこには漫画と小説が古いのと最近のとが混在してぎっしりと詰まっていた。この狂った紅葉が古本屋で集めてきたのだろう。彼女をあきれさせたのはそこに詰まっているすべてが三週間前に見たものと違っている事だった。
「資料には新鮮さが必要ってことさ」
 悪しき親友はいつのまにか背後に立っていた(熱いお湯が入ったやかんを持ったまま人の背後に立ってはいけないということを教えてもらわなかったのだろうか、彼女は?)。
「新鮮も何も、あなたが飽きっぽいというだけでしょうに」
「やかましい、このアンテナつきが」
「関係ないでしょそれは! 私だって好きでアンテナ生やしてるわけじゃないもん!」
 クラシックの憤りに応えて頭の線状アンテナが回転を始めた。思えばこのアンテナのせいでろくな事が起こっていない。アンテナつき、アンテナつき。私の名前はアンテナつきじゃない! イオンモールでもない!
「じゃあ取る!」 
 そんな彼女の思いにはかまわず、言うが早いが、彼女主観における一級危険人物のやかんを持っていないほうの手が動いた。
「えっ」
 クラシックには一瞬、頭を風が撫ぜた、としか知覚できなかったが、すぐに何をされたかを理解する。
「あ、あー……あーっ?! また?!!」
「クラシックのアンテナは簡単に取れるなあ」
 彼女のアンテナは忌まわしき友人の手にあるペンチにガッチリとつかまれ、抜き取られていた。
「な、なしてぬくの……」
 躁鬱さんが工具箱に手を延ばした様子はなかった。作業現場で働いているわけでもないのに常に肌身離さずこんなグッズを持ち歩いているというのだろうか。
「いつも髪が洗いにくいーって愚痴ってるじゃん」
「いやまあそうだけどあぁあぁああぁ」
 たちまち足元がふらつき、平衡感覚を失った哀れなクラシックはアンテナ切除犯にしがみつくように倒れた。
「いつも思うんだけど、面白い体してるよね、クラシックって」
「@☆♪&#?/◎……」
 ろれつが回らない。躁鬱さんの腰をつかんでどうにか立ち上がろうと試みるがうまくいかない。結局クラシックは膝立ちのままで、涙目で憎たらしい幼馴染をにらんだ。
「わたひ帰れないじゃない……」
「ククク、口では嫌がっていても、身体は素直じゃないか」
 言っている本人も意味を理解しているのか怪しいところだった。
「ひどぃよぉ」
 気が付けば夕日は西の空に沈もうとしている。



「あと、内海くん。今月の資料なんだがね……」
「覚えていたか」
 躁鬱さんが中身の薄いカバンから銀色に光る物体を取り出し、背広の怪人に投げてよこした。
「どうも。毎度、彼女にはなんと言って切除してるんですか?」
 歪曲した線状アンテナだった。
「それを教えるには別料金を支払ってもらわないとね」
 皮肉な笑いとともに芝居がかった動きで胸の前で腕を広げ、言う。
「フィクションで覚えた人間語と着古した制服の迷彩でアパートに溶け込めるんだから、あんな哀れなアンテナつきぐらい見逃してやってもいいと思うんだけどね」
 リルカリルカは、すでに部屋を後にしていた。
「聞けよ! ……やれやれ」
 人間殺し殺しは仮面のアンテナ始末業者が消えた後もしばらくそのまま自嘲含みの笑いを消さずにいたが、数秒してある事実に気づく。傍には首切り死体。
「えっ、この後始末、ひょっとして私がやるの……おい、電話に出ろ、リルカリルカ! おい! この! 顔面ムレムレ野郎! ピーという発信音がどうとかじゃねえ! 目玉引っこ抜くぞ!! ……」

(了)
>>戻る