『子犬にしてあげよう』(中) 文字通り、濡れ鼠と化した二匹は金属の皿の中に放置されたまま、テイマーとヒトイヌはどこかへと出かけていった。もちろん、尿は事務所端の排水口から捨てられていた。脱走の絶好のチャンスでもあるのだが、少なくともスナには立ち上がってどこかへと逃げ去る元気は残っていなかった。照明が落とされ、満足に光の差し込まないテイマーの事務所は地獄のように暗い。 ヒトイヌの臭いの残る皿の中で、スナは意識を失って横たわるトビに背を向けて食べられるのを待つ餌のように息を潜めてうずくまって体力が回復するのを待っていた。基本的に、ヒトは獣や虫けらの存在を軽視しているので、脱走の機会はいくらでもあるだろう。 しかし??脱走してどうする? あてはあるのか? などと、不毛な思索を巡らせていると、背中に誰か立っている気配がした。誰かと言ってもトビしかいない。意識を取り戻したのか、と身体を起こそうとして??押さえつけられる。 「?!」 テイマーに捕らえられた時とは別の恐怖がスナをパニックに陥れる。悲鳴を上げようとするが、その口はトビの右手に封じられる。 「んー、んー!」 「静かにしろよ」 暴れるスナの横っ面を殴り、地獄の看守のような声でトビは凄みをきかせる。必死に抵抗しようとするが男の力には叶わず、組み伏せられてしまう。 「尻を突っ張れよ」 その後、何度か殴られたスナは、結局トビのいいなりのままに身体を動かす。その表情には失意と諦めがあった。スナとトビの間では、このようなことはこれが初めてではなかったし、卓上都市においてもさほど珍しいことではなかった。こうして畜生の身へと堕ちてしまうことでさえも。その事実はしかし、苦痛を和らげはしない。慣れは敏感な精神の表層部分を潜り抜け、柔らかい核を抉りとっていく。ただ運が悪かっただけなのだ、きっと。 なんだか、生暖かい風が吹いている。 「うわっ!」 急に、自分を犯していたトビが何かに驚き無様に尻餅をついた。トビの視線の先を見て、スナも同じように驚いた。 いつのまにか、音もなく皿の前まで近づいていたヒトイヌが、暗闇の中皿の中の二匹を見下ろしていた。 「ひ……」 二十メートル以上にもなる巨大な犬娘??しかし実際には八十センチの小人にすぎない??は、スナたちに何をするわけでもなく、ただ二匹をじっと眺めていた。それだけなのに、その巨体は場の空気を完全に支配している。 「交尾、交尾っ」 ヒトイヌは期待しているかのような表情でそう言った。 呆然としている二人をはやし立て、両前脚の肉球で押しやり、再びくっつけようとする。 「見たい、見たい」 トビは、ヒトイヌとスナを見比べた後、ばつの悪そうな表情になってスナとは反対側の皿の縁へと移動し、そこに座り込んだ。 その様子を見届けて、スナは縁の上に立ち、ヒトイヌの顔へと近づいた。 「……ありがと、助けてくれて」 善意から来た行動なのか、純粋にネズミの交尾への好奇心だったのかは知らないが、スナは礼を言わないといけないと思った。 今は、隣の同胞よりもまだ信頼の置けそうなヒトイヌと友達になりたかった。暗闇の世界で、少女は独りではないと錯覚していたい。 ヒトイヌの首元で、何かが光を反射していた。ヒトイヌの首輪に付けられた真新しいネームプレートだった。『サクラ』と書いてある。おそらくそれが、彼女の名前なのだろう。 なんとなく懐かしくなった。スナもかつてはヒトイヌを飼っていた。もうこの世にはいないだろうが。仔犬だったのに、何も知らないあの子は雨の日に駈け出して、戻ってこなかった。 「え、ええと……。よ、よろしくねサクラ」 そう彼女の名前を呼ぶとヒトイヌは俊敏な動きで脚を伸ばし、スナの身体を抑えつける。 「呼ぶならご主人様。その名前は禁止」 うめくスナにヒトイヌは噛み含めるようにゆっくりと言う。はっはっと、荒い息が押さえつけられたスナの顔にかかる。ヒトイヌの吐息は臭い。サイズ差があればなおさらだ。脚の重さと臭気に、スナは苦しさを隠す余裕もない。 「ご、ご主人様」 復唱すると、サクラはうれしそうに鳴き声を上げる。スナに押し付けられていた肉球がゆっくりと離れていく。 「よろしく、ネズミ。私があなたを飼う、愛玩する。私のご主人様のいいつけで」 言葉の意味を理解するのに若干秒を要した。 「返事?」 「は……はい」 「よろしい」 満足すると、サクラは再び後ろ足で直立した。目の前に、ビルのように大きいヒトイヌが、さらにその後方には塔のように巨大なテイマーが立っている。 このまま、どこまでも果て無く小さくなってしまうんじゃないか、そうスナは錯覚した。 * 人間のペットにペットとして飼われる日々が始まって数日。 スナ達を小さくした張本人たる巫女は翌日に来た。どうやら、特に引き取るつもりはないらしいことが口ぶりとその腰に吊り下げた新たな鼠からわかった。 本格的に管理権を持つことになったテイマーの名前すら鼠たちは知ることはなかったが、知る必要もなかった。テイマーも鼠たちにはさして興味がなかったし、直接の主人はサクラなのだから。普段ほとんど会話をしない、レイヤーにして二段階離れている存在のことなど、おたがいに興味は薄れるものだ。 とは言っても、テイマーがサクラのついでに干渉してくるような時には気をつけなければいけなかった。トビとスナは普段は餌皿でもある、使い捨ての安っぽい麻布が敷かれた陶器の皿に居住しているのだが、餌の時間になるとテイマーが二匹が埋まってしまうほどの半固形状の餌をなみなみと注ぐのだ。いてもお構いなしに注ぐので、時間を見計らって皿の縁まで脱出しなければ餌の池に溺死する危険性がある。完全に埋まらなくても、間近で巨大なヒトイヌに餌を貪られると、それに巻き込まれそうでかなり恐ろしい。舌が身体をかすめたこともあった。遠目で見れば可愛らしいヒトイヌも、その至近にいる五センチのネズミにとってはモンスターだ。 それに、汚れてしまえばきれい好きなヒトイヌの『シャワー』が即座に執行される。トビはこういうとき要領がよく、テイマーの接近を勘よく察知して退避するが、逆にスナは慣れない巨大な存在との生活の疲れからよく居眠りをしてシャワーのコース行きとなる。 事が終わった後、皿の反対側にいる助けようとする素振りすら見せない兄貴分を視線でなじるが、トビは悪びれもせずに顔を背けるだけだった。減っていく口数、悪化する態度にスナの小さな胸は寂寥で満たされる。さらに、彼はヒトイヌがいないととたんに抗うことのできないスナの身体を求めてくる。 彼の気持ちもわからないわけではなかった。こんな環境に放り込まれて、話の通じる人間が自分を含めて二人しかいないとなったら、もう一人の身体の熱を求めたくもなるだろう。実際、スナを抱いている時のトビは震えていた。しかし、彼はやさしくはなかった。二人共が、身体の熱と引換に心を失っていった。 結果として、もうひとつの言葉の通じる存在に、心を自分自身ごと預けるのは自然な流れと言える。 「おねがい、ネズミ」 「……はい、ご主人様」 皿から出たスナは、ころりと股を開き、毛皮を手で掻き分けてあられもない姿勢になっているヒトイヌの前に置かれていた。 目の前には全身で入り込めそうなほどの大きさの秘所が姿を現している。『シャワー』の臭いがまだ残るそこに、顔をしかめながらも慣れない動きでスナは舌を這わせていった。襞を小さな手で広げ、こびり付いた細かい垢を丹念に舐めとっていく。スナの口には、甘苦いタールのような奇妙な得も言われぬ味が広がる。 吐き出したくなるが、それは許されない。以前ヒトイヌの目の前でそれを吐き捨てたときは、フンをしたばかりの菊穴を掃除させられた。目を閉じて、一気に飲み込む。汚れが澱のように溜まっていく感覚。トビには膣を、ヒトイヌには胃を犯されている。今自分に流れている血には、どれだけ自分の成分が残っているだろうか。 ??最初はスナとトビの二匹が強いられた仕事だった。しかし、スナが進んでこの作業を行うようになり、特に誰がやるかにこだわらないヒトイヌもだんだんとスナ一匹に任せるようになった。 奉仕願望があるわけでも、ヒトイヌを喜ばせたいわけでもなかった。ただ、あの男と一緒になる時間を少しでも減らしたいだけだ。ひとりで無心になって単純作業に没頭している時間だけは、スナの心が癒される。 それに、ちっぽけな鼠同志で性交し、餌の海に溺れる日々よりは、巨大なシステムの一部として動いていることを実感できるこちらのほうがいくぶんかマシなのかもしれない、そう思った。肉体を酷使し疲労した結果、シャワーコースの機会も増えてしまうとしても。 トビはその間、ずっと皿で寝転んでいた。脚の怪我の回復を待っているのだと言っていた。体温の低下を防ぐため、餌の残りを全身に塗りつけたその姿は、まさに巨大な餌だった。 服も奪われ、この身体は熱を失いやすいというのも軽視できない事実だった。一人で冷たい皿の上に寝ていると、どうしても体温を奪われて命の危険が発生する。それを回避する方法は、トビと寝るかヒトイヌへの奉仕ともうひとつしかなかった。 ヒトイヌは尿をし終わったあと、そこに続けて糞を排出する。肛門がヒトネズミの一匹は飲み込めそうなほどに大きく拡がり、そこから抱き枕ほどの太さの茶色の固形物が排出され、尿の池へ着水する。黄金の海に浮かぶ茶色い小島のようだった。排出されたばかりのそれらはほかほかと湯気を立てていて、いかにも温かそうだ。ヒトイヌのトイレ皿で一日を過ごす??そんな考えが浮かんでしまった自分に、スナは嫌悪する。糞尿に埋もれて喜ぶなんて、まるでヒトムシではないか。 そんなことを考えていたら、ふらふらとトビがトイレ皿へと向かっていった。意識は朦朧としていた、自分が何をしているのかも理解できていないのだろう。スナの表情が複雑に歪んだ。 トイレの後の尿道や肛門、肉球を舌で掃除させられたり、大きな口の中に放り込まれて歯を磨かされたりと、ヒトイヌにさせられる奉仕はほとんどが清掃関係だ。そのうち、もっとも楽だったのはヒトネズミの小ささを買われての彼女の毛皮に寄生するノミやシラミの駆除だった。ヒトイヌの毛皮は小さく繊細な肌には見た目よりもごわごわしていたが、それが与える熱は力強く温かい。その臭いは獣の油脂と少女の甘さだ。 全身で毛皮に取り付いている自分の姿もまた寄生虫のようだと自嘲しつつ、スナは専用の容器を片手に虫を探す。ほどなくして、毛皮をかき分けた奥に指先ほどの大きさの人型の生き物が何匹もいるのを見つける。男もいれば女もいる。身長にして一ミリほどの彼らは、五センチ強??五十倍以上にもなる巨人の存在に怯えすくみあがっていた。八百倍もの巨大な存在に寄生しておいて、妙な話かもしれない。 ヒトムシ。ヒトイヌ、ヒトネズミのより下に位置する、ヒトやヒトイヌの身体に取り付き、血や汗を吸って生き延びる最底辺の存在だ。ミィミィと、気泡を潰したような声でヒトムシがスナの手の中で鳴いている。こんななりでも、人としての知性は残っているらしい。下には下がいることを実感し、僅かな安らぎを得る。捕らえたヒトムシは殺さずに手にした専用の容器に入れていく。こんな哀れな存在でも、数を集めれば何かの役には立つそうだ。 上位存在の気まぐれで、自分たちもヒトムシまで落とされてしまう可能性については、スナはあまり考えないようにしている。 卓上都市には昼夜の概念はない。日にニ回鳴らされるサイレンと備え付けの時計、そして一週間に一度降る雨だけが時間の基準だ。 一日の終わり、夜にあたる時間帯、照明は落とされヒトイヌとヒトネズミ二匹は深く眠っていた。 「ネズミ、ネズミ」 スナはヒトイヌに掌球でつつかれて起こされた。いつのまにか弱い照明が付けられていて、ヒトイヌの姿を把握することができた。 「ご主人様が話がある」 言われて見上げると、ヒトイヌを抱いたテイマー??の両脚が自分たちのいる皿をまたいでいた。スカートを穿いているため、もちろん下着が丸見えだ。鼠ごときに恥じらう必要もないのだろう。相対的に四十メートル近い高さにある彼女の顔は角度と高さの問題で見えないが、腰に両手を当てていることから皿の中の自分を見下ろしているのは伺える。 スナはスケールの大きさにいちいち圧倒される。自分のようなヒトネズミが十匹は楽に過ごせそうなこの皿も、テイマーが片脚を下ろせばいっぱいになってしまうだろう。尻を下ろしても入りきらないかも知れない。そういう場所に、今自分はいる。 「×××サクラ××××××××ラシイ×」 スピーカーを何十にも通した重々しい声??実際には年相応のかん高い声なのだろう??が降り注ぐ。この街の住人は、サイズの規格が違う??下位カーストの存在を同じ目線の高さで見ることはまれだ。言葉がほとんど通じない相手と目をあわせて会話することに意味はない。 会話をするというだけで世界の隔たりを教えられているようで心地いいものではなかったが、至近距離でヒトに見つめられるのはそれはそれで恐ろしい。自分の身長ほどもある眼球で見られるのは、銃やナイフを突きつけられているのに感覚としては近い。 「『最近は私のヒトイヌのためによく働いているらしいね』と」 ヒトとヒトネズミがコミュニケーションを取る必要がある場合、通常はこのようにヒトイヌがそれを中継し、翻訳する。 「××××××××××アゲル」 「『特別にいいことを教えてあげる』」 「サクラ×××××××××××××ナサイ。××××××××ヒトイヌ×××××」 それに続いたヒトイヌの翻訳に、スナは耳を疑った。 「××? ××××××××××ナイ?」 機嫌の悪そうな声とともにテイマーの膝が折れ曲がり、尻が皿の上にと近づいてくる。 「い、いいえ、そんな」 「……×××」 * その翌日から、スナは積極的に毎日欠かさずヒトイヌへと奉仕するようになった。 ヒトイヌの背の毛皮の中からヒトムシの女の子を見つける。ヒトムシは大きさの個人差が大きく、これは手のひらぐらいだ。 「おいしそうだね、きみ」 大げさに口を開き、そう脅してあげると、彼女は面白いように怯えあがる。 「舐めてよ」 しゃがみ込んで股間にヒトムシを下ろし、そう命令する。ヒトイヌのマネだ。 ヒトムシの少女は恐る恐る股間の秘部へと近づき、ちろちろと舐め始める。そのたどたどしい舌使いと、主人の背中の上で性的な行為に至るその背徳感が、スナを燃え立たせる。 虫駆除の後は『シャワー』が待っている。汗と脂に汚れた身体を熱い湯で洗い流すのはとても気持ちがいい。その湯が敬愛するご主人様のものであればなおさらだ。スナは尿圧に押し流されながら笑う。 「ねえ、トビはこないの? 気持ちいいよ!」 白い皿からトビが、何か恐ろしいものでも見るかのような目でこちらを見ていた。 一週間もすれば、膣穴や尿道の掃除に嫌悪感を覚えることもなくなった。『目的』の成就を考えれば何の苦痛でもない。それどころか、楽しくさえ思えてきた。嫌々ながら嚥下していた垢も、今では上質なバターのような味わいを楽しめるまでになる。がんばって奉仕すると、より大きな甘い声をあげてよがってくれるのも嬉しい。びくり、びくりとひときわ大きくヒトイヌの体が震え、とろとろと陰唇から愛液が流れだし、彼女の股間とスナの下半身を濡らす。スナは濡れた部分に全身をなすりつけ、口でそれを啜る。垢も愛液も彼女には貴重な栄養源だ。 「ネズミ、べとべと」 上から降るヒトイヌの声に、スナの背筋が寒くなる。はしたなく分泌物をむさぼるさまが不興を買っただろうか。それとも、さらに『シャワー』が来るのだろうか。身を強ばらせて、刑の執行を待つ。 しかし、ヒトイヌの行動はスナの予測とは違っていた。スナの身体をそっと両前足で抱え自分の身体から下ろし、四つん這いになり、愛液にまみれたスナの顔を優しくなめた。 「えっ……」 間近にあるヒトイヌの顔は普段と雰囲気が違う。何かを期待しているような、そんな感じだった。 スナはふらふらと歩み寄り、背を伸ばし、わずかに開いたヒトイヌの口の下唇をなめ返す。ほの甘い感じがした。 「ん……」 すると、ヒトイヌの上唇が下り、スナの頭部は咥え込まれた。視界は真っ暗闇になるが、なぜか恐怖は感じられなかった。ヒトイヌの桜色の唇はみずみずしく、柔らかかった。 ぺろり。 「あっ」 再び顔を、頭全体をなめられる。熱い唾液が、とろりとろりと闇の中振りかかる。 (も、もっと) くわえられたままスナがもう少し前へと歩こうとしたところで、光が舞い戻る。目の前には、柔らかく微笑んだヒトイヌがいる。その閉じられた唇とスナの頭の間に、糸が引かれていた。 スナは不可解だった。どうして、こんなに心臓が忙しく動いているのか。どうして、あそこで前へと行こうとしたのか。恐ろしさの余りおかしくなったのかもしれない。 メス同士で。しかも、ヒトイヌに。冗談みたいに巨大なケダモノなのに。 ヒトイヌの吐息が、苺のように甘ったるく感じられた。 * そうして三ヶ月が経った。衛生状態が悪く、脚がなかなか回復しないトビは焦り、その間に何度か脱走を試みた。当然のように、そのたび素早くヒトイヌに嗅ぎつけられ取り押さえられ痛めつけられている。その様をスナは黙って眺めていた。 「今日はしないの?」 「……」 「温かくしないと死ぬよ」 「スナ、お前……変わったな」 たまにはと、スナは自分からトビを誘ってみたが、反応は芳しくないものだった。 「そう?」 スナはトビの背中から抱きつき、股間に手を伸ばそうとするが払いのけられ、肩をつかまれ正面から向き直られる。 「あいつらに何か吹き込まれたのか? それとも、頭でもいじられたのか?」 あまりにも不安そうな表情をしていたので、スナは思わず吹き出してしまう。 「ちゃんとご主人様たちって言おうよ」 「ご主人様だって? あんなガキと犬ッコロがかよ」 スナは最初は嫌々ながらも奉仕を重ねるうち、だんだんその価値観を変じていった。ヒトイヌの体温の優しさ。動く山のような雄大さ。分泌物に生かされているという事実。自分が住んでいるのは、ヒトイヌの皿ではなくヒトイヌそのものだということを悟ったのだ。小さなものは卑しく、大きなものは尊い。単純なルールが息づいていた。 「ねえ、トビ。私たちはそんなガキと犬ッコロに弄ばれるちっぽけな存在なんだよ、だからさ」 その続きを言う前に、スナはトビに張り倒され、そのまま犯された。スナは殉教者のように静かにその苦痛を受け入れる。トビは、自分より頭一つ背が高いはずなのに今ではなんだかちっぽけに見える。そう感じられたからこそ、トビの狼藉もすべて許せるのだ。 あらゆるものへの恐怖に突き動かされたトビは、一度の絶頂でスナを解放しない。二度、三度と追い立てられるように、スナを貫く。 「はぁ、ハァッ、どうだ、気持ちいいだろ、へへっ」 「うん、気持ちいいよ。そう反応するように出来ているから、あっ」 二匹の小さな鼠は暗闇の中、数度目かのエクスタシーに跳ねる。 「うん、いいよ、好きにして。今夜が、きっと最後だから」 「? どういう」 「……ごめん、もうダメみたい。もう、トビ兄のことを抱けないや」 トビは、一緒に横になっているスナの頭がいつのまにか自分よりも上の位置にあることに気がついた。身体がずれたわけでも目の錯覚でもなかった。華奢だったはずのスナの手足が、トビのそれよりも太くなっていた。スナの息遣いは荒く、脂汗がだらだらと流れ始めている。 「くる、しい……ううっ!」 激しく痙攣するスナの身体にトビは跳ね飛ばされてしまった。スナは立ち上がり、身体を半分に折って苦しそうに喘ぐが、それでもトビよりも高さがある。混濁する意識の中、スナはトビを視界に捉える。スナの主観で、トビはもう子供のように小さかった。 「トビ兄、ちっちゃくて、かわいい……」 トビがスナの変貌に見とれている間にも、スナは巨大化を続けていく。むくむくと肢体が膨張すると共に、全身からはヒトのものでもネズミのものでもない毛皮が生え始めていた。前かがみにトビを見下ろすスナの身体は、彼の三倍以上ある。 「苦しい……さすって」 スナは身体の平衡を失い、トビのいる方向へ前のめりに倒れこむ。トビは思わず両手を付きだすが、今のスナの重量では支えることはできないし、支える必要もなかった。トビのいる場所が倒れて四つん這いになったスナの胴部と地面の間のスペースになったため、幸運にも押しつぶされることはなかった。 ガランガラン! トビは激しい揺れに見舞われる。いつのまにかスナの手足が皿の外にはみ出、その時皿が揺らされたのだ。 手足は抱き抱えられるほどに大きく、その手足という柱が支える天井は毛皮に包まれたスナの身体だ。毛皮の覆っていない下腹部にはかわいらしい臍が見える。かわいらしいといってもそれは全体の比率で見た話で、トビの拳が突っ込めるぐらいの大きさの穴だ。下半身のほうを見ると、ふさふさな毛の房が垂れ始めていた。 スナの身体の変化は終わらない。みちみちという、筋繊維の緊張する音とともにスナの全身は膨張していく。汗は絶え間なく流れ、トビの周囲にぼたりぼたりと頭大の大きさの汗の雫が落ち、天井はどんどん高くなっていく。 最終的に、肉の天井がトビの身長の五倍ほどの高さになったところで、スナの巨大化は終わった。 トビの理性が事実の認識を拒んでいると、毛の擦れる音とともに見上げる天井が持ち上がり始めた。 その動きで周囲の空気が撹拌され、風となってトビの全身を撫でる。やがて、四つん這いの状態から、皿の外にぺたりと足を開いて座った巨大なスナの姿が現れた。畳まれた太ももの厚さだけでトビの身長近くある。 建物のような高さからトビを見下ろせるその巨躯、全身を覆うクリーム色の毛皮、そして新たに生えた三角形の耳と尻尾、その姿はまさしくヒトイヌそのものだった。 戻る 前へ 次へ |